1.心眼を開く

人間は、命というものを知らない。

命はあるものでもないものでもないと般若心経に書かれているが

実のところ存在しない概念である。

私がそう創ったので、あるようにも、ないようにも、感じられるだけである。


この命というものを得るのは

実のところ、一つの真理だけで到達するものではない。

私はいくつもの真理を創り、それが矛盾しながら、調和を目指して、進むように創った。
これを人間は、矛盾と呼ぶが、矛盾とは、成立しない事をいう。
全知全能の神の前では、全てが同時に成立するように創る事ができるため、これを私の前では矛盾とは呼ばないのだ。
一神教であれ、多神教であれ、どうということもない。

私のみを見るという事はどの宗教でも教えている事だ。


心眼を開くというのは、ほとんどの人間にとって用事のない事である。

ほとんどの人間には何の意味もない言葉であるが

その中の少数

ごくまれに、そのために遣わした人間がいる。

その人間は、私の導きにおいて、心眼を開く事ができる。

ここでそのノウハウを書くわけではない。

人間にはどうすることもできない事だからだ。

これを拝して読み、その時をただ待てばよいのだ。