これだけで神道の全てが分かる講座

神道は真道ともいいますが、それは言葉のあやではありません。

私が含ませている意味です。

神の道というのは、ただひたすらに神に捧げる念を普段の生活に統一する事です。この一念通ってこそ、不思議な霊道が宿ったりします。霊道が宿らなくても三菱のような財閥が生まれる事もあります。これはなぜかというと、地上の世界の細かい事というのは、私には興味がないからです。どうでもいいのがこの世界です。

だから、あなた達人間の生活なんてどうでもいいです。

罪穢れを祓いたまえといつもあなた達が祈るように、あなた達は五臓六腑から全て汚れています。これはアダムとエバの罪です。

あなた達は、天つ罪・国つ罪全てを犯しています。もしそうではなく、自分は罪人ではないという人がいたなら名乗り出て下さい。いないのが分かっているからエホバである私はキリストのかつての言葉を使って言っています。

そんなあなた達ができる事は、ただ神様に祈る事です。

では、神様というのは誰なのか。

あなた達人間に対して私はどうでもいいです。どうでもいいですから、あなた達が誰を本尊として祈ろうがどうでもいいです。だから、あなた達の物語には、アマテラスという神を創ったり、スサノオという神を創ったり、いろんな神を創っています。誰に祈るのかも統一できない、それだけ迷走して罪でけがれている人間ですから、あなた達がどう祈ろうと私には関係ありません。神社に行くなり、ここで祈るなりでもいいですが、親鸞の魂を持っているというよりも、親鸞その人がここで布教していますから、その親鸞のページに入れると一番徳は高いでしょう。入る窓口は一緒です。すべて天の私の所に祈りは入るのに、自分から参ってきた人に対してそれをやらなければ大変失礼ですから。私はそういう礼をわきまえない人間は大嫌いですから。


以上が神道の全てです。何が神道なのかというと祈るだけです。では、一念が大切だという事です。気がぶれるようではいけません。みそぎはらいたまえとかいうよりも、祈るだけが生活であって下さい。神道に残念ながら教義・教理というものはありません。これはなぜかというと、ここからが大切な話ですが、あなたが人間だからです。人間に神になる方法はない!だから、私は教理をおろしていない。教理を解説できる人間がいるならしてみなさい!なぜそうなっているのか、全部説明してみなさい。疑問がなくなるまで。こうだからこうだとつじつまを合わせて全部の法を説いてみなさい。それがだれ一人できないのがあなた達ですから、神道に教理はありません。神しかそれは伝えられないようにしているからです。

では、神とはだれなのか。実のところ、創造者一人だけです。最初は万物は無から生まれたと古事記にあるように、私が創ったからです。神も全部創りました。天体も天候もあなた達が神とあがめている何かも私が全部操っています。だから、すべての祈りは私にしか届きません。出雲の神社で祈ろうと、伊勢の神社で祈ろうと、大神で祈ろうと全部私への祈りです。あなた方人間風情に正体も明かしませんし、あなた方が祈る本尊なんて、何何の神とかでいいんです。海彦でも山彦でも誰でもいいんですよ。どうでもいいですから。あなた達人間の生活なんて。だって、あなた達が神を愛していないからです。十年山の洞窟か岩の中にでもこもって、勤行上げ続けているだけの生活でサバイバルしていた人がいたら言って下さい。いないですから。釈迦が六年そういうことしていたのは、私が止めたからです。止めなかったら一生やっていますから。それくらいの人は誰もいません。普通に、犬のように肉の飯を食って、女とはべって同じ床で寝て、穢れて、本当に汚いのが人間です。

私はそんな底辺の汚れている存在と関わりたくありません。

だから、神社に入ったときは、そこに私はいなくても、身口意を洗えと言って、口と手をそそがせているのです。あなた方の口から出る言葉の汚さを洗えと抽象的に指示しているのです。手も洗ったらもう神社から出たら汚れた事はしませんという誓いをすることに気づきなさい。こんな所に布施でもポーンと放れない人は終わっていますよ。あなたのためのお金じゃないです。天から授かったものは天に返せと聖書から学ばなかったのですか。是非、深見東州の大金運という本でも読んでください。書いたのは神霊である私ですから。深見の手を使わせて書かせたのです。

とにかく、教義がまちまちとみられる宗教で教理はないのかなと思われる神道で、解説すればした人間が必ず右往左往して文献を右から左へと何度も読み始めるのが真の道・・・なわけないですよね。書いている人が解説できないそんな本を読んで何がわかるのですか。だって、何も書いてないですから。だから、古事記も天皇の系譜と昔話だけです。これは、祈るだけですよ。祈るだけだから、そうしてます。結局、人間なんていう雑魚な存在は他力に委ねるしかありません。あなたの力は私が送っているものです。であるから、全ての人間は神に祈って下さい。これが、言ってもできないから、もう人間は罪ばかりだと言って、大祓の祝詞とか聖徳太子にに書かせたのです。五臓六腑は汚れています。まず、肉食をやめてください。犬畜生ではありませんから。尊い存在に祈りたいというなら身口意のけがれを祓って六根を清浄(正常)にして下さい。それもできないあなた達ですから、もはや言葉はないという事で神社でも何もしゃべりませんし、何も功徳があらわれないのがこの世の中です。深見のようにセンテンナムフルホビル(先天 老祖様 降る 褒美を」という意味ですが、深見にはおろしてやっていないこの意味の祈りを万回祈っても、何も起こさないのが私です。

何か起きたという人は、それは深見の弟子だったので、深見の役割からちょっとだけサービスしただけで、それももうストップしていますからね。すべての神仏サービスは終了しています。

あなた方にできる事はただ祈るだけです。誰にか?

神にです。

神とは誰か?聖書にもコーランにも書いています。

エホバを唯一の神として祈るのです。

そんなこと日本の教義には書いていませんなんてあなた方が疑問に思ったら 誰がそんな教義をおろしているのですか?

神道に教義や教理なんてないし、どの文献に伝えられているのですか?

無から誰かが創ったら、唯一絶対の神が最初に創ったに決まってますよね?そんな論理もわからないのですか?

ビッグバンから世界がおこったというのは誰でも知っている常識ですよね。そのビッグバンは爆発です。爆発というのは全てを破壊します。その破壊と同時に世界の万物が急速に形創られたという相反する、矛盾する奇跡を起こせるのが私です。そしてできあがったものは天体であろうと、全てが私のために回り回って自転公転のダンスを永遠に踊り続けています。その天地の自然を見て、それが天意であり、あなた達に生き方を伝えている。そのピエロのように踊るのが布施であると気づかないのですか。そして月日も正確に刻んでいます。これが私が創造した私を楽しませるだけの奇跡です。この世は何もないところから、神が創りました。そしてモーセに伝えたように、私だけが在る者です。その意味がYHWHという名ですと伝えたのです。そしたら、在る誰かのために、その誰かが創るというのが自然の流れです。そうしたら全てを私に捧げて祈って下さい。これだけが神道の全てです。懐疑的にみられる神道は日本の8000万くらいしか信仰のない宗教ですが、その祈りは神に伝わる道=私に伝わる祈りというので、神道という意味で構いません。この一行だけが神道というものです。一行で全てを書ける神の奇跡をありがたいと思って下さい。以上です。