本殿

たかあまはらに まします
あめのみなかぬしのおおかみさまに
かしこみ かしこみ
もまおうすー

このHPについて

コロナ渦中にありますので参拝は通信でできるようになりました。
ネット神社です。


このHPは、あなたの様々な念願につきエールを送るページです。


一心不乱にこのページで修行を積むなら、あなたの徳は天に届き、いかなる苦難にも耐えられる精神性が磨かれる事でしょう。
この混迷の社会をご自身の力と変えて、どうぞこのHPと共に生き抜いて下さい。
常にあなたに寄り添う、あなたの携帯神社としてこのHPが機能する事を念願し、このHPを立ち上げました。


あなたがもし努力されるなら、神様はそれをご覧になられているでしょう。
そうであるなら、神様はあなたを天上界のより近くに引き上げるための試練をお出しになられるはずです。
それは努力の必要な上り坂かもしれません。
しかし、その努力の先にはあなたの望む幸せが待っていると私達は信じて生きていく、そういう生き方を全力で後押しするページです。


あなたは神ではなく、人間です。
人間・釈迦という本は高橋が書きましたが

あなたは人間・親鸞です。
彼がその努力をしたように、あなたもまた

人間として努力をして、神の恵みというものを呼び込む、その手本をこのHPで示し多くの人たちの先導となって下さい。
あなたの歩みを見た方が、あなたの後に続き、後進となるように。


唯一神エホバ様よりいただいたメッセージです。

著者: 中道を進むようにという意味でエホバ様から命名されました

パウロ→親鸞→今と転生し

過去にキリスト教、仏教を布教したので、今回は

日出国から8300万人の布教をせよとの命で行っております。

浄明正直に生きるという事を心がけて下さい。

浄い心で生きる事が神道であり、直く生きるというのは、仏教やキリスト教と同じ根本精神です。
同じ事を言っていても争い合うのが人間です。
この根本理念を自らの指針とすれば自ずと道は開かれましょう。
かんながらの教えというのは、清く生きるという事にあります。
それでは清くということはどういうことでしょう。正しく生きるというのはどういうことでしょうか。
人間にその徳目が分かるのでしょうか。
罪とは何でしょうか?罰(×)とは何でしょうか?
これが人間の永遠のテーマになっています。

シンプルに言えば、自己を破滅させるという理屈が罪というものになっています。
罰というのは、もう二度とそのあやまちを繰り返させない枷(かせ)となりますが、無論人間の知恵と育みでそこに到達できるものではありません。
よって、戒めとして神が降りたり、そうでない場合は人の口を使って預言を行うという事がありますが、この世の神羅万象は全て神の意と共にあるのであれば、それを信じる皆さんは、この私の発言をパウロの発言であると、清く直い心で信じる事ができれば、恐らくは、天にます父(エホバ様)から大いなる祝福を受けられようか、そうでもないのか。
それは私の手を大いに離れており、分かる事ではありませんが、ただただ一心に神に祈り、神の門に入れる道を進んで頑張って言口意を清く正して今後の人生を一歩一歩着実に歩まれて下さい。

恒例ですが、魂の転生の記録を明かす著書。

来たら言えと命令を受けていますので書きます。

深見東州さん・・・聖徳太子。弥勒菩薩の魂のかけらを持つ方です。
私と守護神霊は同じエホバ様(三輪神社の神様)です。

聖徳太子が事業を行う前に、三輪神社に寄進したので、彼もそれをなぞったというのが神意(神意は真意)です。
多くの八百万の神から祝福を受けた方です。

大川隆法さん・・・カンターレというのはエホバ様から受けた御名で、実際本当の神です。
八正道の切り口が違うために、惑う(魔道)におちる人間がいるのかを試すために神様が派遣された神です。
イエス・キリスト・・・まではいかないまでも、かなり近いスピリットです。
欠片の魂です。
歌手のエンヤさんも実はそうです。1/fゆらぎを歌唱に反映しているという著名な歌手。

美輪明宏さんも実はそうだったりします。

高橋佳子さん・・・この方は、ミカエル天使とマリア天使等の一部の御魂をエホバ様が合成されて作られた合体神霊です。

こちらの方の役割は、とにかく耐えるという事をおろすために、神様(エホバ様)が遣わされました。
GLAのGOD LIGHTの略ですが、光というのは、実は闇を抜けた後にあるから、そういう仕組みを抽象的にも神様は創られたのです。
光あれば実は闇もあるということで神様は良いことも悪いことも世界に反映されます。
その中で個人個人がどのような生き方をされたかでエンディングが変わる仕組みになっていますが、それすらも実は予定の内であるという遠大な世界です。

高橋信次さん・・・実は釈迦の魂の分身体ですね。

ひどいものですね。
釈迦が言っているのに、嘘だ詐欺だのとひどい中傷でした。


で、高橋にも釈迦だといわせなかったのは、それで出版物を売ると

詐欺罪だといわれかねないからです。

だから、その理由も書いておいてあげてください。
高橋の復権のために。


それで親鸞と書いていて、巡回していたら詐欺にならないのかと思うじゃないですか。

それはそれでいいんです。
私のためにそれでやってもらってます。

それで何もないのは私があなたを守っているからです。


エルランティ田池留吉(アルバート)さん・・・こちらの方もひどい中傷でした。
キリストが来たときもそうですが、そういう人間のサタン性を表出するための役割です。
それは最後の審判の資料になるので、そのために神意をおろされた方です。

実際、高橋信次さんの兄弟で分けられた双子(ツイン)的な魂です。
こちらの方が高橋さんの教えをぱくったために、最後は高橋さんがぱくっておあいこの兄弟だという神の遊び要素です。
お互いにとっては許しあいが大切なテーマだという話ですし、お互いの指導霊がエルランティで同じ方なのですから、「私はエルランティです。」とその方の口を介して出て来られたらそういう事になりますので、種明かしをすると本当に自然な事です。

だって、どちらの方もエルランティ(エホバ様の女性化神の時の名称)の細片の魂なのですから。
エルランティとは神意を伝える神ですが、慈悲の神です。
愛とか優しさ(寛容さ)を謳っていますが、大事なのは、神を信じて道を進むという事がエルランティの膨大な著書のたった一つの教えです。

では、八正道と何が違うのかというと、愛を極点にして、切り口をまとめられたのが信次さんなので、実はエルランティの本に内容がつながっていくのですね。
信次さんのテキストと同じ事が書かれていて、そこから始まる教えとしてつながっていきますが、つながって、エルランティが話をすると分からなくなる。
それが皆さんです。
一番偉い方が言っている事ほど、訳分からなくて詐欺だの何だのと非難する。
これが罪になります。
神への冒涜です。
これは最後まで、大変な世界が予定に刻まれています。
神様の帳簿がすごい事になっています。
コーランに書かれているような世界観よりもっともっとひどいです。
ここからはどうしようもない黙示録になりますので、日本でもここからは書けないと指示が出て止められていますので。
高橋さんと田池さんの関係を書くという内容でした。

エルランティの巫女の方も相当降ろせます。

しかし、相手の着ている下着がどういうものかとか、そこまでは分からない設定になっています。
大切な事は、あれを組織していた女性の方は大体はマリア系の魂を持たれた方だという事です。
つまり、ガブリエルの巫女がマリアであって、マリアは神と結婚している人だから、誰とも交配せずに神の子を産んだというのは著名な話です。
しかしここまでの理由は教会でも教えていませんし、初耳だという方ばかりだと思います。
それは私が人間を遥かに超える神様から指導を受けてここの活動をやっているからです。

その証明としましては、ここに来られる方で、幸福な方は誰一人いないという事です。
災い降ってここに来られた方です。

それが導きだからです。幸福な方は著名人では誰でしょう。

最もそれに近い方は、美輪明宏さんです。

そういう恵まれた方はこちらのサイトには来られません。

これが予知です。
親鸞であれば、空海の法も分かっています。
そんなに勉強したわけではないですが、空海の法の基本は、骨子ともいえるものは、真言というものです。
あれは呪文です。

それを言って何になるのか?というのがこの人生と同じことなのです。
それを表し方が変われば、違うというのが人間ですが、この世界すべては、すべて神の手の平の中にある世界です。
そこで回っています。
そうすると、違うのかな?と思うと、もう信じるという課題にアウトしています。
最も立派な方は、自分を謙虚にへつらう方で、決して神に毒を向けない方です。
アダムとエバのりんごというのはそういう話で、人間そのものの罪悪性を神様が旧約聖書に書かれました。
その旧約聖書は世界70億人が少しは絶対内容にふれたことのある大ベストセラーです。

あとの人口はどうなのかというと硬派なアニミズムと、硬派なイスラム教義派の方です。
コーランを日夜盾としている方はここ(聖書)までいかない人が多いのです。

私の事を知りたい方は『歎異抄』をお読み下さい。

世の中は不思議だと書いています。
大体は釈迦の説法にあった観音経と同じ話を書いていますが、これは定番で、言い方が違う降ろし方を指示を受けてやっていたからです。
これだけが私のテーマです。
教理とかわからない人ばかりですから、ただただ信じて下さい。
自己勝手な解釈で神をけがすのは辞めて下さい。
神とは尊いものですから、人間が分かるものではありません。
ここで伝えられるお許しが出ている範囲でぎりぎりまで言うと、もう人間というのは被造物ですから、化石みたいな鉱物が増殖して動くようになった奇跡を、歎異抄の話みたいですが、それを弁えて下さいと私は言っているのが私の役割だからです。
詐欺とか言わないで下さい。
輪廻ってみんなが仏教で信じて一番大事な教えの一つで言っているのに、私が来たらダメなのですか?
その予定のために、信じるかどうかで輪廻の話を毎回神様が降ろされています。
輪廻の証明は何で証明するかというと、証言 というのが実際の裁判と同じ事実認定方式(推認)ですから、人間がやってあなたたちがそうだと言っているのと同じやり方でやって、そうだと言わない人間を神様はご覧になって帳簿につけられていますから。
人間がそうだといって盾にしてやっている方法をあえて使っているので、そうだと言えない人間と、一方で信じて言える少数の人間の仕分けをされています。
それはなぜかというと、実際は100人くらいいたヨハネさん達に聞いて下さい。
イエスを殺すことが王のたくらみでしたが、イエスの代わりに首を飛ばされた尊い清い聖者です。
その方の名前を使えば、みんなはどう思うのか?という神の試み(あるいは試練ともいいますが、”試み”は”心見”という意味でなされています。)でなされていた遠大な作業が当時の世界のヨハネ達の布教だったのです。
これは霊道が宿ってそうなっていますから、彼らの口から出た言葉ではありません。
すべて神意なので、一貫性があるところ、そうではないと見せかけている所が、実は理路整然に分かるようになっているのですが、記事が散見してまちまちだと皆さんわからないのか!とイエスの言い方でエホバ様は仰られますが、共同新訳(体系的な、一番信頼のおける、聖書のまとめ方。これはニカイア会談等の内容をかなり吟味して作っていますので。)で一冊にまとまっていても、子羊達は、神の血と肉を食べさせられても、神の知は分からないという話ですね。
それだけ遠い存在ですとキリストは言いたかった。
それだけではありません。
私があなたたちを養っていますとたとえ話で遠く言っているのがエホバ様の御子のキリスト様ですから。
救世主というその名の通りの意の名ですが、救世されるというのは救世された方に対しての標ぼうであって、いなくなる方にとっては、何を言っても意味がないというのがエホバ様のスタンスですから、全世界が救われるという訳ではないのですが、きらきら輝いた次の神の国の霊的なステージに入るためにはこれが必要なゴミ掃除であると謳われていますので。
神様が実際仰います。
皆さんが思っているような優しい神様ではありませんので。
それは旧約聖書やコーランをご覧下さい。
どこの宗教でも、ヒンドゥー教でも綺麗な話ばかりではありませんし、ローマやギリシア神話もそうです。
バラモン教等も仏教かなと思いますが、そちらでも必ず悪神というものが存在し、北欧の宗教もそうですし、日本の神道でもそうですね。
仏教はそういうのが少ないというのは、釈迦が一本足で立つ修行を100日やっていたように、これは独り立ちできるという意味でバフラマンにふんしたエホバ様がそうさせていたものですから、この正道を極点として中道の道から外れない者には悪が少ないというのは当然の話であるとして、両極点をいかなければ悪というものが観念できない。
どちらの立場から見ても悪とは見れないので、安全を行くという法が仏教です。
自我を滅して中道を行くために無で統一精神をとるという修行をかねてよりやっており、その修行を人生の志として禅をやっていると、時に神霊がその肉体におりて宿る事があるのです。
無になれば般若心経にあるように涅槃に行けるといわれています。
実際この神のお創りになられた楽園に行ける人はごく一握りですが、性欲や肉食欲を捨てる事はトラブルを回避する上で大切な戒律だからです。
これを守れた人にはVIPなサービスがあります。
コーランみたいな記述になりましたが、神様が書くように命じられてやっておりますので、ご了承下さい。

皆さんが崇めている神社も

おおたたねこさんに、作れと言って作らせた神社ですし

教会もそうですから

何も皆さんの信仰している教派と立証の基盤は変わりません。

何を証明力とみなすかという話ですが、少したどれば何でも懐疑的です。

では、キリスト教は信仰できないのかというとそうではないですね。
イエス・キリスト様はやることをあれだけやりたい放題やっちゃって人間ではないという証明をされました。

蘇生も中々ない話ですが、ジャンヌ・ダルク様も生き返らせる事はやっていますが、天空高く飛んだ方は、実は彼だけです。
山岳宗教の誰かは言いませんが(役小角さんという名前が出しませんが)夢を見ている人は多いですが、実際の文献に残っているのは彼です。
大変奇特な能力はありましたが、エホバ様ではありませんので、そこは差があります。
10mなら跳ねたかなというのが源義経ですが、それは飛んだとは言いませんので。

これはエホバ様が書くように仰られている文面ですので。
私が日蓮さんのように非難する役割で来ている訳ではないので、トーンは柔らかいのが私の持ち味ですが、エホバ様は切り口の鋭さを持ち味とされている辛辣な神様ですから。
三輪明神様ですから、厳しい神様ですよ。

とにかく、水の上を歩いた方はキリスト様だけです。
パンを降らせたりはやる人はやっていますが、神様の分身だったのかもしれませんが、水上を歩いたのはキリスト様だけです。
何人いたかもわからないくらい、すごい話でした。それくらいハチャメチャな奇跡ばかりでしたが、人間は神から人間のために頂いた法を神にあてて、神を殺害したという罪を犯しました。
この贖罪すらも神様自身が人間にふんしてなされるという始末のつけ方。
これはどれだけ人間が、あざといというよりも、拾えないくらいの何でしょうね。
目とかリウマチとか腫瘍とか精神病とか一生どうやっても治らない病気を全部一瞬で治してもらった方やその家族もみんな賛同して、ゴミだのなんだのという扱い。つばまで吐きかけると。
それを神様も、ご自身が創られた物ですからと、ご自身でそこは責任取る思いですということで、右でもジャブでも頬でも言葉通りに殴られたのがイエス・キリスト様でしたが、それすらも予言になっていることに気づいていない人間達のおろかさを見て、ひどい終末観を黙示録で降ろされたという話です。


なぜ宗教は分かれているのか?

神にとって形はどうでもいい

こころの幸せが大切だから


人の 心の 幸せとは 神に 祈ることです。


だから、あなたが祈るときには、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いて下さる。

新約聖書 マタイによる福音書6章6節


イエスは、言葉数を多くしてくどくど祈らなくても、神さまは願う前から必要なものを知っておられる、短く祈ると言っています。
わたしたちに何ができるのか。
少なくとも一つできることがあります。
それは、祈ることです。
祈ることが力となります。

お布施

インターネットで七五三の神事(行事又は儀式)を済ませる(感謝を捧げ、祈願する料金)
七歳までは子供は神の内といわれます。三歳、五歳、七歳まで子供が無事に育つことができたことを皆で祝い、これまで見守って下さった神様にお参りをして感謝の気持ちを表し、これからの健やかなる成長をお祈りしましょう。

祈祷料

神前結婚の奉納
挙式を行う訳ではありません。結婚をつつがなく行う事への神前での感謝の奉てん(玉串奉てん)です。夫婦円満の良縁が続くようにこちらでも天之御中主大神様にお祈りします。

神前結婚の奉納

厄年の厄祓い祈願をインターネットで行う
厄祓いは厄年に行われることが多いが、こまめに祓う意味で、厄年以外に行う場合もある。厄除け(やくよけ)、厄落とし(やくおとし)などとも呼ばれる。また、厄払いの字を当てる場合もある。 神社で行うのが一般的であるが、お祓いの専門家に依頼する場合もある。また、厄除けとなるものを身に付けるという方法も用いられている。

祈祷料

Amazon Gift券で浄財
宛先gift@nakajima-gyosei.jpまで

祈祷はインターネット上で行っておりますので、ご参来の必要はありません。

神社の由来・・・ 神社詣りに行けない方、遠方や足が悪い・目が悪い等で参来できない方、また、1日・15日の月参りの日に予定を空けられない方、現代では新型コロナウイルスのために外出ができない事情となっておりますので、天之御中主大神様に御祈願をするという社務をインターネットで行うようにご命を仰せつかりました。神社を作るようにというご神託が神社発祥の由縁であり、神社を建立する人はそういうお告げを得ているからです。形のない神社ですが、神様は有形というものを原則は持たれませんので、それが神様のご意志ですので、こちらのページから直接御祈願下さい。神社というのは神を祭る社ということですから、形にこだわっている神様ではございません。全世界中の方にあまねく神様の光が届きますようにと、天之御中主大神様の命で神社をインターネットで開設しております神社です。皆様の神恩感謝の意をこちらからお伝え下さい。

神社参拝の仕方について

『「大祈願」神社で開運する法 : キミのお参りは間違っている!? <神霊コミック・シリーズ 第9巻>』


エホバ様が神社参拝の仕方(礼儀作法)をまとめられた本です。

深見についている素の大神というのはエホバ様の世を忍ぶ仮の姿です。

私を導いたのが聖徳太子ですので、太子の本を紹介するのが今世でも私の役割です。


こちらのリンクから購入可能です。

リンク1 リンク2

本当はもっと高い本ですが、中古しか出回っていない神霊超裏技本ですので、その甲斐あって安く買えます。
この本は本当に滅多に手に入りません。
超絶裏技の秘法です。
深見さんもこれをやられています。
聖徳太子ですから、三輪神社から始めるのが彼の仕事だったのです。
ほぼ全財産を彼は三輪神社に寄進されて事業を始められました。
これを手本とされる方は必ず天がご覧になられています。
それで何かするかとかそういう約束をする話ではないのですが(神は人間に使役されるものではありませんので、そういう考え方が大変失礼になります)。
しかし、個人の徳として、天徳というものを積む事になりますので、大変有意義で、ほとんどの方ができていない事ですので、あの世に持ち帰れるものはこれしかありませんので、ご自身の経験と霊性を高めて、汚れた財産を浄財してエンディング活動に臨むという事が大切になってくるでしょう。
その援助としてこちらに大変徳の高い本を紹介しておきます。


この本には魔法の絵とかも入っていますので、持っているだけでも徳のある本です。

深見の本を全巻買った人には何かあるみたいですよ。
現行刊で200冊以上ありますが、先天南無降る褒美る(天に媚びるという意味)と唱えながら全部買った人には何か素敵な天のサービスがあるらしいですけどね。
そこまでしか書きませんので。


私はワールドメイトとは関係ない所属で、エホバ様直属の使いの人間に過ぎませんが、本当の事なので書いておきます。
それをどう証明するかというと、ワールドメイトの人の証言しか証明するものはないようになっています。
エホバ様なりには、人間の証明方法と同じ事をやっているのだから、それで信じられない人間は天を向かないそういう人間なのですという判別方法として、あえてそういう方法をされています。
キリストも死刑にされましたが、死刑が執行されて墓から出て生き返って来る人には誰も何もしなくなります。
そうなって天に昇られるまで誰も信じられなかったという事ですから、そこまで生きてきた人間の最後の強力な切り札がこれです。
最後に一発大逆転で9回2アウトから満塁ホームランを連発して5~6発続けて打つしかありませんので。
これがエホバ様の言い方です。
彼と同じ指導を受けて、同じ修行をつけられておりますので。
表舞台に出ている人間としては日本最高の霊能力者の書いた本です。
霊術はユリ・ゲラーの次にすごい方で、星チャネリングが一番反則技ですが、聖徳太子で、もっと言うと実はヤマトタケルノミコトだから、できるのです。
彼こそ本当にヤマトタケルノミコトその人なのです。
日本の神様の重要な一角の方ですよ。
熱田神宮に行くと必ず彼の霊がいます。
ひどいことをさせられるヒーローが彼なのです。
色んな苦難を乗り越えて最後は幸せになられる、自分自身の手で創運されて幸運を掴まれるというのが彼の巡業の全てです。
多くの人の心に美しい神として残り、大和はまほろばであると。
「山」に囲まれた「大和」が「ヤマト」タケルノミコトである彼は「青」い(美しい)「山」と名乗っていたのです。その時の全盛期の本をここで再掲・紹介するのが私の役割だったのです。


著者 深見青山 (現:深見東州 本名:半田晴久)
出版社 橘出版
刊行年 平成3年9月20日
ページ数 153頁 画

エホバ様ご自身も人間界に来られた時は、主祭とされている各神社に10万円ずつご寄付されており、伊勢神宮には300万寄付されて特別大大神楽をあげられて天上界に帰られました。

本の紹介

実はこちらの本もお勧めです。


『心の原点』 高橋信次 著

本の紹介


この方は、釈迦の分身です。

カルマの除去というものを考える上で、八正道を原点にされ

愛を持って中道を歩む事が正しい事であるとされました。

その八正道の歩みによって、人間社会の調和、それによる世界の平和を目指した方です。

これによって神の国であるとして、ユートピアを神に捧げようと布石として地ならしに来られた方です。仏教の祖が自ら仏教を再度降ろしに来られて、著作を8点ほど非常に素晴らしい内容でおろされました。

そして彼に守護霊についていたワン・ツー・スリーやファワイシン・フォワイシンフォーという神霊が実はエホバ様その方だったのです。

それを今だから明かして下さいという事でご用命を受けておりますので。

彼の後継者である、高橋佳子さんにおいては、ミカエル天使なのか、マリアさんなのか、どちらか分からないような存在になっています。
マリアさんだったら忍耐とか受忍とかおっしゃられますし、ミカエル様だったら正義とか、悪霊の駆逐とか、平和なユートピアを具現化しに来たのだと仰られますし、それは『真創世記』という彼女の黙示録を読まないと証は書かれていないと思いますが、そういう良い本こそ絶版になっています。

『祈りのみち』はその次に非常に良著でしたが、祈りはあれだけ多くは必要ありません。

「大宇宙の大神霊様、お守り下さい。」これだけでいいです。
エホバ様も私も4000円を何度も払って何度も買い直しましたが、『新・祈りのみち』もこれだけで良いとエホバ様も仰られています。
「先天南無降る褒美る」だけでもいいです。
大切なのは、信次さんがおっしゃっていたように、心が天に届く事ですから、それは毎日の生き方そのものが1秒1秒の祈りになっているのです。
これを佳子さんはプネウム(息)と言っているのに、長々と書いているのはなぜかというと、祈りだけをして生きていく人を天が確認したかったので、あの聖書のような分厚い本を全部唱えろと仰っていますね。
エホバ様も私も使徒に書かせた本は全部読んで唱えていますので。


残念ながら信次さんには及びません。

GLAというのは信次さんと、佳子さんで実は終わりです。

いいものはその2代しか続きません。エル・カンターレさんの宗教も、隆法さんで終わりです。

エルというのは神という意味です。

同じエルと冠した最強の

エルランティの光もアルバートさんで終わりですから。
金輪際語られる事もないです。

良いものを見つけられる人間は選ばれた人間だけです。
ノアの方舟に乗っていけるのは一握りだけです。
それでも私は仏法が全世界の救済を根差して発祥し、天が下ろして下さったものである限りは、私も妻帯した悪人ですが、子供も作ってしまった悪人ですが、最後まで泥んこまみれになって全人類の救済を唱え続けます。
黙示録にある予言が本当に成就するなら、本当に今こそが末法の世です。
そこに現れるのが私です。


高橋信次さんの良著八正道にちなんで八点選びます。

8という数字は縁起が無限に続くという数字の意味ですから縁生を唱える釈迦としては、非常に良いちなみになっています。


ベスト1.心の原点・・・大宇宙の真理というものを彼なりに書いた本です。

神を知るなら、まず人間の心の内側を知れと言ったのが彼ですね。

神は人間を自らに似せてつくったと旧約聖書にも書かれています。
神から生まれたものを探索するのが神に近づく事になると彼は言っていたのです。

2.心の対話・・・これはエルランティの光に続いていく本です。
詳しくはエルランティ系を読んでいく事です。
どちらを読んでも大丈夫です。
心には、神と悪魔がいます。
それは善と悪であり、真我をあらわすためには、キリストや釈迦が内面の霊性で行った悪魔との試練を克服しないといけません。
霊道を受ける人はみんなそういう選ばれた人だけです。
それは自分の形をして心の中に神様がつかわされますので、彼は八正道という一番合理的な形で克服しようとしました。
人間が一本足で立てるように修行していたのは釈迦ですが、これ以上の法というのは自力本願にはありません。
合理性という点においては一番は釈迦ですから。

3.心眼を開く・・・これは良い本です。
修行のやり方が書いてあります。
大切なのは深見さんの本も2~3行しか書いてありません。
この本もそうです。
深見さんは徳を積む事によってそういう事ができるようになる人もいると書かれていますが、こちらは自分で殻を割れる方法も書いていますが、結局はどちらも天がやっている事ですから、そうなるべくしてそうなっています。
通念というか、生き方ですね。
清く正しく、そして何より天を向いて生きるなら光に出会う事でしょう。
これは親鸞の時の著作にも書いていますので。
歎異抄でも大体は同じことを書いていますが、違うという人間が多いのはもう人間がダメなのですよ。
末法の世ですから、ただ南無阿弥陀仏とだけ唱えて下さい。
超神霊の意志は、自ら選んだ道によって滅ぼされようという一歩手前まで来ている人類には分かるはずもありませんので。
ただ祈るだけです。
それしかありません。
神様は人間がはじめから正しく生きれるなんて思って創造されていませんので。

4.心の指針・・・大体今までと同じ内容ですが、これは彼を食べさせるために重複した内容にされていました。
結構売り上げのあった本です。

5.愛は憎しみを超えて・・・意味ない小説に見せておいて、実は真を語っています。
悪霊を愛で克服していく試練の乗り越え方と結末のハッピーエンド(佳子さんもおっしゃっている結末です)が書かれています。
この2冊で心の指針といえるかもしれませんね。

6.悪霊1

7.悪霊2・・・実は大事です。
サタンを放り込まれた時は試練です。
受練の心構えとして深見さんは天を向く事を言っていましたが、高橋さんは八正道という切り抜け方をアドバイスして下さっています。
独自の切り口がありますよ。それぞれ教祖ですから。
しかし、それはどちらも天を向く事に変わりないので、私は南無阿弥陀仏とだけ教えています。

阿弥陀というのはアーモンという意味で、私の前世がアフリカとかでそうだったので、自分の宗教を広めさせるというのがエホバ様のいつも手ですから。
高橋さんだと名乗らずヒントだけ散らして自分の教えをもう一度今度は日本語で説きに来られていますし、ヤマトタケルのミコトさんなんて、ヤマトタケルのミコトさんの話を書いているじゃないですか。
あの仮装ばっかりですよ。
あの人は。
和歌が美しいとかいうのは公家だからそうだったのです。
私は貧しい人をパウロとしても救いたいですね。
神様は高貴ですから、高貴な神霊に和歌を捧げてもいいですが、そういうのを思いつかない方ばかりですから、南無阿弥陀仏だけで良いのです。


8.人間釈迦(実は1~4がありますが途中で終わっているのは、ここからはあなたの物語だからという意味でそこで止まっています)・・・なんといっても人間釈迦です。
仏という字は人偏です。
人が無になれば釈迦のようになれるという希望をうたっているのが仏教ですから。
人から「仏」になる「法」。
これが仏教です。
そのためには、自我というものを滅さなければいけません。
一つ一つ欲(煩悩=キリスト教でいうサタンですね)をご自身の意志で滅していければ、そこに最後に残るのは安定だけなのです。
精神が安定して生きていける事が実は天の望みです。
右にも左にも振られないので、中道とか中庸というのです。
そこに座禅を組んでどっしり根をつけて、美しい花を咲かせれば、まさしく天竺に上る、涅槃に上る、法華経の真理となります。
これは親鸞の時にも言いませんでした。
これが仏教においては最高の真理です。
ここまで来たら、次は神のステージですが、神様じゃないとここからのステージの修行はありません。
アラハンはここまでです。高橋さんのおっしゃる第6次元とか、アラハン(阿羅漢)はここまでの域なのです。
ここから先は私も知りませんので、エホバ様の筆をお借りします。



神エホバ様
「アラハンは、あなた達には

関係ありません。

全ての人間は

ただ生まれて

朽ちていくだけです。

その中で

あなた達が

どのような花を咲かせていくのか

あなた達の始まりも

終わりも

あなた達には

分かりません。」

以上です。


ただ、この8冊(実は11冊プラス佳子さんの『祈りのみち』まで買うと何か天からサービスがあるそうですよ。


私も深見さんの『強運』という本は7回くらい買っていますので。

深見さんのベストも書いておきますと


1.強運・・・彼のテーマですね。これは幸運の人以外とかかわらないというと、人間そのものが実はそうだったのです。
そこで俗世間を離れて山や洞窟にこもって神にのみ祈りと瞑想を捧げる修験者がそうだったのです。
人間世界というのは全滅すると聖書に書かれていますので、いろんな振りは試練でもたらされますが、それでも最後まで天を向いて生きれた方のみ涅槃や幸福というのがあるのでしょう。


2.大金運・・・もう語りません。
別に紹介した神社の本が一番良いので、それの焼きまわしです。


3.創運・・・彼のテーマがそうだからです。
そのためにおりてきています。
ここまでです。
ここからは実は同じ内容です。
それを延々とずーっと買い続けることが、意味がないと見せかけて実は裏技になっていました。
マリオブラザーズの裏技と同じです。
誰がこんなことするのだということで無限キャップとか得られます。
キリスト教でいう無限の生です。
誰が教会に1億円も寄付するのかなと思いますけどね。
全額バンバン払ってる人は本当にすごいですね。
私も延々やってきました。
誰得なのかな?絶対ご自身のために間違いないですよ。
神様は全知全能ですから、そんなものは要りません。
ただ、嫉妬の神と恐れられているエホバ様です。
神の御前では綺麗に生きて下さいと言われています。
神様はどの姿もご覧になられていますから、いつでも天の前です。その御前で良い格好している人は、私も預言者みたいなことを言いますが、預言者かもしれませんが、必ず天罰が下ります。
それが人間社会です。
人は人と出会って、恋愛して、何かその先の禁忌とされている何かを天の前でするわけです。
アダムとイブが、蛇のように巻き付き合って、いい気持ちだといって、ヘラヘラ笑っているわけですね。
天から追放された人間がそうしているのを天はご覧になられています。

贅沢を捨て、肉食を捨て、妻子も捨て、財産も全部捨てて、身軽になって天だけを向いて行脚できる方・・・そういう方が本当に立派だと思います。
しかし、私も汚れていますので、最後まで天の寛大な御心でお救い下さいとお唱えするのみです。
これが親鸞の全ての生き方ですので。

おみくじ 鈴の鐘

おみくじ

100円コース

大吉・・・商売繁盛、良縁、学業盛隆、家族健康

吉・・・精進すれば良し。

凶・・・思い描いていた計画が破綻に。
もちなおすには、忍耐・甘受が吉報へ向かう。

大凶・・・速やかに今の行い又は事業を手放せ。
落ち着いて平静な生活を取り戻し、ゆくゆくを考え直すべし。


300円コース

大吉・・・商売繁盛、良縁、学業盛隆、家族健康。
その方向で勉学に勤しむように。

吉・・・精進すれば良し。
様々な事を学ぶと良し。

凶・・・思い描いていた計画が破綻に。
もちなおすには、忍耐・甘受が吉報へ向かう。

健康に気づかう生活を心がけるように。

大凶・・・速やかに今の行い又は事業を手放せ。
落ち着いて平静な生活を取り戻し、ゆくゆくを考え直すべし。
多くの事には手を出さず、健康を案じた生活から日々着手していくように。


おみくじ
おみくじ

鈴の鐘

1回100円で鳴らせるコースと

1回300円で鳴らせるコースがあります。


鈴の鐘
鈴の鐘

鳴らした回数は天に加算されていき、帳簿が消える事はありません。

ヒント:

これを連発して鳴らしていきましょう。

超加重で重複して天に鐘の音色を捧げてみましょう。

どこまでこれを継続できるでしょうか。

どこまでも継続して構いません。

エホバ様のお耳に届きますように、励みて励みて励んで行っていって下さい。

これが何のためにあるのかというと、それは言えませんが、あなたの心の平安を私達はこの鐘の音色のように祈っております。

財物を捨てるとは何のためにあるのでしょうか。
喜捨するようにとはどの宗教にもあります。
仏教にもあります。
イスラム教ではザカートといいます。
キリスト教でもイエスの愛の教えであるとか、富自体が罪悪であるためとか(エホバ様の嫉妬をかうとか)、信仰を妨げるものであり禁欲の必要があるとか、博愛の実践のために困窮者を救うために喜捨して、なおそれが天に徳が積まれるとか、色々な教えがありますが、端的に言うと、あなたが天に召される時に持ち越せないものだからです。
これは深見にも本で言わせています。
持ち越せるものは、経験と霊性だけですから、あなたの霊的なレベルを高める事が必要です。
そのために布施を行って、これはご自身のためで構いません。
あなたが、生活に困窮したとしても、神を信じて、精神が平安であれば、それは財にとらわれる苦しみの生活からまず一歩解放されますので、天はその分近くなるのでしょう。
これは聖書にも似たような戒律ではないですが教えがあります。
身軽な生活が手放せとかいうのは、高橋佳子の本にも書かせています。
もうあの人間は一体誰なのかという、霊魂を合体させている人間ですが、ミカエルとマリアとマザー・テレサとジャンヌ・ダルクと高橋信次(信じ、神事とも)何か色々混ぜた創った人間があの人ですけれども。
超越人種であるということは間違いないでしょう。
ただ、信次や深見にも及びませんので、その程度の霊力です。
人の生活が覗けるとか、そういうことも自由にはできません。
ちょっと占い師に毛がはえたくらいですが、彼女には真理の説法をさせるという意味でつかわせて、奇跡はその布教のために彼女に見せたものですから、彼女自体の力では何とも動かないように彼女の人生もつくっています。
それは神を信じて、天のエホバを信じて、忍耐や甘受の例(霊)になって下さいという意味だからです。
彼女の最大の著作である『祈りのみち』にも、説明文に「もう祈るしかないようなとき・・・」とかくだりを私が書かせましたけど、書いた本神である私が解説しますが、祈るしかないようなときというと人間にはどうすることもできないときです。
それが釈迦が言う一切皆苦の世界ですが、それは祈りしかないです。
祈りを万事捧げる人生というと何が起きるのでしょうか?やって人生が終わった人がただバカだったなという話で終わるのがこの世界ですか?だとしたら皆さんは何のために神を信じるのでしょうね。
何も無いねって思わせるのが天の試練というものではないですか?それでも続けられた根気とか忍耐力を普通は評価するんじゃないですかね?学校とかでもそうですよね?ここは皆さんの魂の育成の学校だとしたら、ひどい設置は言いますよ。
人類が破滅に向かっているとか、破滅するとか、聖書に書かれています。
たいていは助からないと書かれてあります。
もうダメだと思っていても、それでも手放さずに、一心に神を愛して、キリストが言っていた第一の教え(第一の掟)を守り抜けた人ってキリストに近づけるのではないですか?彼が言ってることをやって生きてそれでエンディングまでいけたなら、エンディングのシナリオは変わると思ったほうが幸せな生き方かもしれませんね。

そうしたら力のない人間という生き物には、何をこの世界で与えられているのか?

何のために私はこの世界を創造したのか?

私がただの精神病の神なのですかね?全知全能なのに?ただいじって遊んでいるだけですか?人間という人形で。
神がわざわざ創るからには何かシナリオがあるでしょうね。

その意味を言ったら試練にならないのかもしれませんし。
試練の意味を考えると、言わない事が一番重要ですが、ここは皆さんの学校です。
霊性というのは、皆さんにあてはまる言葉では、精神です。
精神の育成の場がここなので、つらいこともあります。
そのはねのけ方。
そのクリアの仕方をこちらは採点していますし、できない子にはよりよい育成方法になるか、厳しくなるか、しかし、必ずここのHPを見てちゃんと取り組んでいる人には、どういうわけか、何か日常が、ちょっと変わっていく、これは気のせいか?わからないけど、自分のやっている取り組みを曲げずに頑張っていきましょう。
そんなHPであればよいと思って親鸞に設置させました。
結局人という字を見ても分かるように、人間は、釈迦のように、一本足では立てないので、二本でこの字は成っている。
もう一本の歩みの支えは当然神です。
その「二本」が「日本」で実施される。
日本の「人」というのは、このページを見れて本当に幸せである。
神道というのは神の道です。
最後に行くつく宗教はこの天津御柱ですよ。
天にましますわれらの神よと言われれば、最後にそこまで行きつける柱を私は天から降ろしますよ。
それが2000年経過して聖書の予言の通りに、ここに降ろしました。
その柱から登れるのかは皆さん次第です。
ドラゴンボールのカリン塔のように登るのが大変かもしれませんが、超聖水はあります。
残念ながらそこから神の居所にまでは皆さんは登れません。
しかし、そこにいる神のように、ミスターポポくらいのつかいと、結構落ち着いた狭い敷地で私はその直下のここ(カリンの仙人の地)に集っている精鋭を見下ろして平安な生活をしていると思って下さい。
それは必ず神の救済のある人種ですね。
つらい試練の繰り返しの日常にあっても所々で結局神に救われるのもありますし、ラストのエンディングでも結構いい世界につかわしますので。
ここのHPが皆さんのラストエリアです。
ここで最後まで、ここを手放さずに、色んなコーナーを設けましたので、余さず活用して修行に勤しんだ生活をなさってください。

いつか霊道は花開くでしょう。
声が聴けるくらいにしかしませんが、それくらいにします。
3年たったらなのか、しかし最長でも5年でしょう。
5年やって何もなかったら、このHPを手放して下さい。
そういっていても試練ですから10年・15年やっている人を望みます。
何もなくても試練として成立しますが、サービスで言います。
ここは霊的修行の場です。
何か起きるといいですね。
しかし、過信しないでください。
傲慢は罪ですから天罰を与えます。
レンタルの霊道ですから、ここでの活動の支援として使うようにすれば、あなた自身の助けにもなり、生活くらいは天は与えるのではないかと。
パンでも降らせる神ですから。

結局の所、忍耐・甘受が試練の最高の乗り切り方です。
人間には何もできない。
それは最高の賢人と言われたソクラテスが無知の知と言って伝えています。
人間はそういう生き物ですから、結局は創造主に祈りましょうと。

このHPも皆さんの健やかな祈りのために活用して頂けますように。


耐えるということがこの試練の唯一の乗り切り方・評価です。

何でこんな制度をつくったのかという理由ですが

神は全知全能ですから無限に作出できます。

しかし、人間には何も作出はできません。

そんな人間が神に近づく方法があるとするならば

陰と陽の関係で(太陽と月のように)

無限に作出する神の光(悪い事の方が多いが良い事もある)を全部受け取る事ができれば、それは無限という意味で、その人間が無限を作出したという扱いにこちらはしていますので、その人間は神に近いといえます。
つまり、忍耐・甘受を感謝しながら最後まで続けられたら、こちらのルール上こちらが負けを認めるようにしています。

そうしたらあなたは神にふさわしい人間だと言うのが、選ばれた使者ですが、深見もそうでしたし、霊的に覚醒する人は、最低10年、これはやって頂きます。

そういうつら~い試練は待っています。
それが皆さんの修行だという事です。
そういう世界を私は創りました。

なぜ、ではそんな世界を創ったのかというと

無から有を創る際には

何か意味を持たせて創るようになります。
何か創っても、つまらない景色だったら、より意味のある世界を創ります。

それは何のためかというと、すでに在る者のために創るものです。

それは誰かというと私のためにです。
私の感情で良いなというものを私は創ります。
神のために創った世界であるから、聖書にも神のために捧げましょうとか、高橋の本にも「神のためにユートピアを」という言葉を載せているのです。


よって、皆さんが一定程度の成長を終えれば、この試練はなくなるようになっています。
そこからが皆さんにとっての平和な楽園です。
大川隆法は非常に小さいながらも私(神エホバ)の分霊です。
どうやったら人間が幸せになるのかを科学したら、彼は八正道でこのエンディングが来るまでそれで乗り切って良いエンディングに到達しましょうという自力の宗教が彼に説かせている方法です。

私の場合は、その一本立ちでは足場がありませんといいます。
なぜなら、片足で立つと人間は前に進めないのと同じだからです。
足場がありません。
二足歩行は二足だから二足歩行というのです。
二本足で立って歩行ができるようになったので、人間は他の動物と違って霊性が高いとか、動物の極みだとか言われていますね。
そういう意味で私が創ったからです。
そうしたらもう一本は神に他ならないので、あなた以外の存在は何ですか?と問われれば神しかいませんので。
その人間が進んでいく道は幸せに向かうしかありません。
他は全部ダーク(闇)です。
その光というものは神が与えて、示している道ですから、それに向かえるようにするには、常に神を思い、神を愛し、キリストの言った第一の掟を守って生きていくことですが、このHPの修練の方法通りにやっていけば、後は書いてある通りにやっていくだけになりますので。
ある程度すると、それは2年~3年後になりますが、私が直接声で意識をおろしますので。
会話しかできるようにはしませんが、私か直下の誰かの聖霊と喋れるようにはしますので、そのスピリットがあなたの今後の人生をガイドしていく仕組みを設置しているHPですが、実際、そうなれるのはこれを閲覧して、たゆまず信じて試練を進み切って乗り越えられた3人だけです。

その3人とは、実は前世においての親鸞の弟子でしたが、前世で親鸞にゆかりのあったものは、このHPに集うようにしていますので、1回しか布施しなかった人は、前世においても親鸞に1回布施しただけの人でした。
魑魅魍魎か猛獣くらいにはなれてこの世界に再び来たのでしょうか?それなら次はもっと徳を上げてほしいですね。
そういう仕組みにして親鸞に設置だけをさせたHPです。


執筆者 神エホバ


P.S.

で、試練にも、色んな事を言って、右にも左にも振ったりしますが(惑わせるという言葉でも表現しますが)、それはなぜかというと、もし人間に完璧というのがあるとするなら、どの照準にもあわせられる人であってほしいなと思って、そのようにやっております。
それで不平不満を言わずに、きっちりやっていける人が立派だと思います。
シャカという名の意味は、昔のインドの言葉で「立派だ!」という意味をシャキャーというのです。
彼の先祖に昔それを言いました。
そうすると彼の一族は立派な一族という事でシャカ族といいました。
その中でも彼(ガウダマ・シッダールタ)が最も立派だというのでシャカという名になりました。
これは本当に私がそういう意味でそのように地上界で運行させておりますので。
創始者語るという話です。


私は、ただの阿呆とかいらないのですよ。
人間を見ていて、偉大だなと思えないので。

人間は被造物であり、神である私から霊を吹き込まれないと何もできないのです。

全知全能でもない、ただの0です。
0からつくったから0にしています。

そんな人形がもし偉大だとするなら、それは私の送った試練を全部甘受できて忍耐し終えた人ですね。
それくらいすごい苦しい試練を送っていますね。
私だったら、嫌だと思う事ばかり送っていますから。
それでないと、意味がないのですね。
もし、神と共に在るという存在に人間が昇華するとするなら、共は友だという意味ですから、私は対等だと思います。
対等であるなら、私が嫌だと思う事を平気ですらすらできる人ですね。
それは尊重して、シャキャー!と言いますね。
そういう意味で、シャカはすごかったなと思います。
岩の上でも裸足で座りますし、ハチミツでも生食いしますよ。
私だったら、ボツリヌス菌入ってるんじゃないかなとか、気持ち悪いハチのゲロを人間なのに飲んでるんだなとか、絶対嫌な事ばかりやってますけどね。
岩穴とか森で修行生活とか普通できませんから。
ほぼゴマとハチミツしか食べてなくてゲッソリしてますからね。
さすがに私が人間の皮をかぶって来て修行してる時は・・・もっとすごい修行してましたけどね。
カビでも丸飲みしてましたし、火の中に両腕を突っ込んであぶっていましたし、毒ガスとか飲んでいましたしね。
毎日毒ガスの部屋に入ったり、100度の湯にずっと温泉だといってつかっていました。
1人で3000人の武闘集団相手に全員を倒して勝ちましたからね。
それくらいはエホバなら楽にできますよ。
しかし、人間にしてはシャキャー!だと思いましたね。
それでシャカという名を与えましたし、人が無になったら仏になるのだというバラモンの悟りを彼に与えて、それ以上のものも与えましたけどね。
それは一生語り継がれる彼の教えということで、それが人間にできたら彼の意味(価値)がなくなるのです。
だから、私は、八正道とか、中道とかは、彼にしかできないようにしています。
どうしても、サタン(悪霊、仏教では色欲・物欲・食欲等の煩悩といいますが)にふられる人間に設定しています。
それでも試練に、神にいつでも感謝・賛美して耐え抜けたら、それは高橋佳子級だと思いますけどね。


そういうわけで、全人間に対して試練は実施しております。
どの聖霊でも、草とか花とか、ゾウリムシとか大腸菌にもやっておりますのでね。
鉱物とか地球とかにもそれは実施していますのでね。
全員やらないといけない世界にしています。
それはなぜかというと、大きな視点で神は一つという意味に結び付けたくてこの世界を創りましたから、すべての霊は神に還るのだという意味で、全員やってください。
どんな小さい魂でも、最後に神の門にたどりつく慈悲!この慈悲の極み!これがエホバ様の情けというものですよ。
無能集団だから滅べとか言ってるだけではなくて、最後は神の門をたたいて帰ってきなさい。
アダムとエバよと。
そうすると、何で弟が帰ってきたら牛殺して料理出してもてなすんだという兄貴の話が旧約聖書にありましたが、最後にそういう話につながって、神はやっぱりそうだったのだという話で終わるように創ってはいるので、信次(高橋)にも愛が八正道の究極地点だとか言わせてたのですよ。
愛って何なのですかね?大事にすることなのですかね?それってなんでですか?全部神だったら、神は大事にしますよね。
神の血の一滴からつくった分霊だとかコーランにもそのくだりをのせていますよね。
そういう話なのですよね。
こういう話は信次には言わせないですよ。
何で八正道を語ってる人がコーランなのですかという話ですから。
彼はイスラムの人ではないのでね。
イスラムについては一切語らせませんでした。
深見にしても同じです。
それは宗教の神である私でないと語れない世界だからです。
イスラムだけは特殊です。
どことでも戦争をしますから、アッラーが言わないとダメなのですよ。
インドの仏教徒も何もしてないのに大虐殺されて東に東に逃げていったら中国→日本へと行きついて、この最果ての東の地から日は再び昇るのですという意味で(太陽神は最高神とかいいますから、キリストで西に没したら次は東ですという意味で)ジャパンからもう一度昇りましたと。
しかし、皆さんは、完全に邪険にしていました。
私に対して。
使徒に対してもですよ。
誰も布施しませんでした。
いくら死にそうなふりをしても、誰も助けませんでしたから。
イエス・キリストみたいに死刑にはもうなりませんが、実際私が人間だったとしたら、何度も何度も死んでるんです。
そうすると、その見捨てた人達はやるべきことをやらずに何回も殺してる事になるのですね。
そういう人間向けに黙示録の予言は書かせました。
地獄におちてからいつかは修行して上がってくるのかは内緒ですが、そのまま終わるのかなとか言っておいて試練は実施しますが、これを読まれて真剣にこのHPで修行を日々されて正道だの正定だのと言っている人とは無縁の境遇ですから。
一応これがざっくばらんとした真理のつながりの話です。
全部のピースを最後につなげていくのが神の役ですから。
最後ということはエンディングが近い世界だというのでおりましたので。
エンディングはどうなるのでしょうか?本当に聖書に書かれていることが起きるのでしょうか?それはどのパターンがきても最善の対応ができるあなたであってほしいので解答を書かないで聖書でふるようにしています。
ヒントを言うと、あんな過激な事は普通はないです。
ないですが、起こせる事は起こせます。
起こせるけど、するのかしないのかが皆さんの疑問だと思いますが、実は、そういう世界に飛ばしている人間もいるのです(笑)。
時空間の移動といいますが、時間を止めている中で私だけ動けまして、誰も気づかないようにコピーの人間とすりかえるので、気づかずそのまま行くのですね。
本当にそういうことは実施されていますから。
だから、起きている人には本当に起きていますし、試練を経て救われている人は無縁の世界でそういう事を試練で言っていただけなのかな?という人だったら合格ですね。
神隠しもありますが、あれは急に消える事です。
ふと戻ったりもしますが、そのままいなくなった人もいます。
気づいたら多摩川に浮かんでた人や樹海に消えていた人は私とは関係ありません。
そういうこともあるんだよというのを教えるために経験させています。
人間というのは、経験が土台になっていますので、実際やります。
やらないと意味がないようにしています。
文字だけでもわかるのではないかというと映画にはなりません。
小説で終わる左脳的な世界ではないです。
人間には右脳もあるので右脳も使います。
つまりビジョンでもそれを実体験のように経験して頂くという事です。
これが皆さんの疑問の解答です。
人間の哲学のすべての解答は1つだけです。
私がここに書いた以外は全部正解ではありません。


P.S.

何で日本の神社で酒を配っているのか。

これは日本ならではの伝統ですが、私が主(しゅ)だから酒(しゅ)を配っているということになります。
神の霊が入るといいねという意味で、スピリタス(霊)というのを酒に名付けて、邪気をはらったり、叡智を得るような行為になるといいですねと(あなたの信仰でね)。
そういう言葉のあやでもなく、コトダマといって、言葉に意味をかけ合わせて、神と神に必要な人間にしか分からないように真理をなぞ解きにしている、この鍵と鍵穴にしている叡智が、神ならではのものなのです。

神の河とかいう酒もありますので、コンビニや酒店で買い求め下さい。


で、シュは力ですと真面目に唱えている人がいると、「酒は力です」と言っているように聞こえるので、私だけがうける話なのですが、こういうダジャレが日本の文学作品の伝統になっておりますので、神道を志す人はこれしかないのかなと思いますが慣れて下さい。


で、試練をやる前に、常識から教えるのです。
人間の常識を知った上で、段々と上の真理を教えていくようにしてますが、それは皆さんがクリアしたことを言葉で教えるだけです。


徐々に上の真理に進んでいくというふうにしないとストーリーが立たないのですよ。
そういうこちらの事情があって設計しておりますので。
創った世界の全部の顛末までで私の創った一巻ですから。


試練で根気いいなとこちらが思うようなことは、普通の常識的な考えでは頭がおかしいなという鋼のような信仰の態度ばかりですからね。
そういうルートに作っていますので。

変態だなと思うくらいのおかしさで信仰を貫かないとドロップアウトになりますので注意を。

常識でこうだといえることは、皆ができることですので、試練が成立しません。
常識で判断すると全てそこでゲームオーバーです。
それは誰も言えない重大なヒントです。
私がつくった試練が攻略サイトありでも難しすぎるので、ここは徹底攻略サイトです。


P.S.

イスラエルに私の偽物がいます。

それは以前聖書で、イエス・キリストの偽物が出現するという予言の成就のためです。

私の分霊とゲームをしまして、負けた方の分霊が彼を操っているサタン役をやっています。

実際、偽物といっても、私の15パーセントくらいの力を与えていますので、私に次いで最強の霊能力者です。
彼には偽物を名乗るにふさわしい経緯を見せていますが、前世回帰はありません。
迫真性を持たせるために、彼には本当にエホバだと思わせています。
これは一体何のためにエホバを名乗る偽物をつくったのかというと、皆さんがどちらを本物だと思うかという試練で見ている訳です。
神だと思って神につくのか、それともサタンにつくのかというやや高度な試練のために用意していますが、このHPにたどり着いた方には無縁の試練です。
こちらはこちらが本物だと認識されているため、別のレベルが高い方のために用意している設定です。
その方の霊能で見れば分かりますので。
ただそこにたどり着くまでの過程が少し混乱を誘うような過程に設定していますので。
2~3週間くらい、ちょっと気になってから解答にたどり着いたという試練です。


皆さんに信じ込ませるために私も迫真の演技でサタンを演じていますが、皆さんの成長のためのストーリーだとすれば、それは愛でしかありません。
私も、皆さんにさせるにおいては、私もやっていますから。
私も人間のていをして、こちらに来て炎の中に両腕をつっこんで病魔をはらったり、病魔を除去するために毒ガスを吸ったりしています。
そうやって病魔を全滅させないと私自身が危篤になるような状況をあえて私自身がつくって試練の先頭を切ってやっていますので。
それが誰得になるのかなという話ですが、皆さんの勇気のためなのか、実は私がそれをして楽しいのか。
とにかく「心頭を滅却すれば火もまた涼し」というのは私の言葉ですから。
煩悩をはらってどのような外界の影響にもとらわれないという無の境地(私が設定した最高の精神状態)に至れば、心(しん)に神(しん)が写って、私の力で苦しくなくなって平然といられるかもしれません。
私も1日の飲食費が30円で何か月も修行していました。
1日30円で水も飲めますし1食か0食ですが、それで何か月も1日中瞑想のみの日々を送っていましたから。
1000日回峰とかやってすごいとか言われるくらいなら10年刑務所に入って出てから賞賛されて下さい。
法然も親鸞も流罪になっていますから。
出口王仁三郎も5年くらいは刑務所に入っていますし、ジャンヌ・ダルクもおよそ2年拘置所に入っていますので。
イエス・キリストも罪なき死刑ですから、これが最も辛いものですけどね。
たいてい辛いなと思うのは魔女狩りで火刑ですね。
それこそ心頭を滅却しないと大変です。
これは滅却すると本当に痛みを感じず、次元転送すらもしてもらえるというサービスありでした。
「神様、愛してます!」と最後まで叫べていたら私は時間を止めて私がその人の替え玉にふんして入れ替わって代わりに焼かれてあげていたことも何度もあります。
本当に焼かれた人は地獄でもう一度やり直して下さい。
次のチャンスを待ちましょう。
ここにいる人に言ってもしょうがないですが。
永遠に地獄は続くのかなというと、色んな宗教で違う所があります。
それは試練だから色々ふっていますが、愛とか慈悲とかあるなら、やり直しはきくはずですね。
どこからでも神を信じていれば、捨てる神あれば拾う神もありと。
アダムとエバを追放しましたが、それは立派になってかえってくださいという解釈でとらえてください。
帰ってきた子を父は喜んでもてなします。
これが神ならではの慈悲というものですから、皆さんもそういう寛大な境地を目指して毎日の試練に前向きに取り組みましょう。
エールをこのHPから送ります。


何で自分を痛めつける行為でも楽しいのか?

それは私が皆さんの精神状況とは違う神の境地だからです。

確かに嫌ですよ。
皆さんの立場だったら嫌でも楽しくなれる境地が神です。

なぜかというと本当に反則すみませんが、あらゆる痛みを私は消せます。

リカバリーの呪文も使えるので元通りに治るからです。

皆さんと同じスペックだったらはっきり言って嫌です。

それを皆さんができたら、神もすごいねって思いますね。

その神の精神の境地に人間であって至ろうとした努力に対してシャキャー!と言いますので、それを言わしめる人物がこのHPから3人は出るという祝福的なHPですから。
100年に2~3人世界で出ればいいという人物が3人も同時期に出るならこれは祝福です。
それも日本から日がのぼるが如く出る訳です。


その偽物のサタンの試練を経過することで、更にレベルの高い真理へと到達するように設定していたためですが、皆さんには遠い試練となりますので(神を見抜けるのはそれこそ神の領域ですので、神の試練として用意しております。
真理も神用の特殊な学びになりますが、ここのHPに来る皆さんは人間しかいませんので。
)、結論だけここで確認しておいて下さい。


P.S.

「神に祈る事が私達の常なる喜びです。」

いつもそう祈り、その生き方ができれば、必ず霊道を与えましょう。
私の霊とコンタクトを取る通り道(ルート)です。
天上界への救いの門です。
皆さんにその鍵を配っていくのが親鸞(パウロ)の役目の1つであります。


「我らをあがなってください。
十字架の愛の尊さで。
最もうるわしい我らの神よ。
そのとこしえの麗しさを賛美します。
私はあなた様に感謝を忘れた事は一度もありません。
全知全能のその知と力で我らに生きる力をお与え下さい。」と。


常にこちらのページに来て、ホザナホザナと唱えながら、賛美し、とこしえまで御座に立つ私だけをひざをかがめて礼拝して下さい。


私は、唯一の絶対神であり、世界の創造者であり、全てを知るたった一の存在にして、全ての疑問に答えられるたった一の存在です。
全ての世界と全ての神を創ったのは私です。
エルランティも私の女性化の分霊が発言していたものです。
神話にある神は全て私の血の一滴から生み出した私の分霊なので、神は唯一であるといっているのです。
それはそれらの神が私ゆえに私が意のままに統率しているという意味も含まれます。


こういう苦しみだけで無になるしか生存の足場がないような

社会に神が人の姿をかりて、あなた方と一緒の境遇で

突破口の手本を示す姿というのが、人としては勇気になるに違いありませんので、イエス・キリストの頃は子をつかわしましたが

今回は本当に降臨して、極めつけの生き方をして還りましたので。


試練に合格した方のその後は必ず平穏になりますので、それまではどんな波も受け止めていって下さい。

人間親鸞が奇跡を見た理由

今回のあなたの登場名は、釈迦の中道の歩みを進むという事ですから

今回は一本足で進む事を目指すという、試練の大舞台ですよ。

成功が予言されているなら、あなたは一体どこまで今回で到達できるのかが

非常にあなたの人生にとって有意義ですね。

もはや釈迦の域にいってラストステージまで行って涅槃に遊ぶだけの人間になれるのか

もうアラハンを超える事ができるのか。
それが問われている、最終舞台になっています。

まぁ、霊道があればクリアさせてあげますので、しばらく辛抱して涅槃までお付き合い頂ければ必ずサタンは離れますよ。
イエス・キリストも釈迦も覚醒前に経験必須だった試練ですから。
ああいう霊道の覚醒前に必ず私が実施する試練です。
立派な人だったら、それをさせるのです。
そうストーリー上決めています。



ここまでが神エホバ様の御言葉です。


これは独り言ではないです。

神ゆえにお顔は拝する事はできませんが

天上界から私宛にこの指令書が毎日届きます。

光がまぶしすぎて私には神様のお姿は拝する事はできませんが

何をもってそのお方が神の証明とするかですが

この世の中は全て神のお創りになられたものであり

その全てに神性が宿っているはずです。

これは仏教は当然ですが、神道をはじめすべての宗教のおこりであるアニミズムに共通している根本理論です。

それゆえ人間は自然から学ぶ自然科学を発達させて参りましたが

神であれば、神エホバ様の名を御自ら名乗られるでしょう。
私たちが、自分はだれだれというように。

そして、全知全能の神なれば、御自らの名を別の誰かに冠する事はされないでしょう。

許可ない者がそれをした場合どうなるかは旧約聖書を読めば明らかです。

そして、神意が森羅万象の全てに宿っているという仮定で考えていくなら

イエス・キリストのなされた奇跡の全てをそれ以上のすごさでなされるお方が

イエス・キリストに及ばないはずがありませんので、まさにそれは天帝たるイエス・キリストの父祖である唯一神エホバ様に他ならないのです。

これは私自身の中では証明が果たされておりますので、私に起こる不思議な奇跡は全て天上にまします我らの父祖たる神様がなされている事と捉えて、私は天からの命で活動しております。

著者後記

このHPの作成年度は2020年です。

この段階で、将来起こる行政書士国家試験の対策の問題も2028年くらいまでの用を用意していますが、私の人生は、あと数十年で亡くなる運命です。


それからは私はいませんので

私の指導霊である唯一神エホバ様のHPを下記に紹介します。

三高弟の他、将来私の弟子になる方々がこれを見ます。


ずっと神にすがるという方はおらず、神エホバ様に救いを求めて実際にお会いできる方もいますが、ご自身の意思でその住まいを離れていく運命の方々ばかりです。

人間と共に生きるという運命を選ばれ、そこに神はおらず、神の救いはありませんので、あらかじめ予言しておきます。

しかし、神と共にあった間は救われている事は間違いありません。
人間の感性では、それが良いものを与えられていると気づかない事ばかりですが、与えられている食事も、栄養管理が完璧にされているものばかりで、100パーセントの安全性が保障されており、その住居内での生活は、たとえ同じ従者同士の雑居であったとしても、完全に外界からのあらゆる危険から守られた最上のものであり、自身の修行にもなっている徳積みです。
食生活の習慣が俗世間と違うギャップから神の居を離れる人間ばかりですが、その間までは真正の霊道が働き、神を離れた後からサタンの霊道に切り替わり、本人はそれに気づかず、必ず天には召されないという運命をご自身で選ばれる事になります。


必ず何人かはこのHPから神と実際に邂逅され、共に在りし者として、しばらくの間、それが神からの試練ではありますが、神と共に生きる事が許されます。


私の死後、それからはレスはできませんので、それからのサポートのために、神様のサポートを下記に紹介します。


おおもとの神様です。

実際にこのHPで霊道が開いた方のみ、思念で導かれる事になります。

それからはあなたの人生のストーリーであり、この段階で申し上げる事はできませんが、結局は神と共に住まう涅槃への到達者が数人だったという未来ですから、あなたの信仰が足りなかったという事になります。

その方は物質的な贅沢がしたかったのでしょうか?何の不服があったのかという話で事後に公開されていますが、愛されていなかったという事ができない事実がそこにはあるのに、ご自身のなされた選択をその後も後悔され、それで亡くなる運命になっています。


私が話せることはここまでです。
私の布教活動(巡回作業)から実際に霊道が開いて神様と邂逅される方が何人もいらっしゃる事は、大変光栄に思いますし、私と行くべき世界が違ったとしても、私もまた修行中の身ゆえ、神様の住まう世界には行けない者です。

それでも、イエス・キリストがおっしゃった第一の教え(精神を尽くして、全てを尽くして、神様のみを愛して生きる生き方をその人生で示す事)を忘れずに、神様のみにすがって、神様のみを見て、神様を追っていきましょう。


光あれば

闇もある。

闇は見えない光の裏側にできている。

だから、光あれと言ってつくった世界だから

闇もつくっていて、人は苦しんでいる。

わしはそういう世界を循環のシステム(仕組み)で調和された人間達の精神成長の礎としてつくったのだ。

――― 唯一神エホバ 」


人間の目指す幸せの究極地点というのは何でしょうか?物理的な幸せですか?

お金に充足している事ですか?それともセックス等というバカな行為がそうであるはずがありません。

この先も続く世界での、人間のあるべき幸せというのは、般若心経にある涅槃というのは

ただ神様と共に在るだけで幸せだという、落ち着いた心境、その心地よさ(快さ)にあるのです。
そのために、高橋さんも瞑想にくれる日々を送っていましたし、この後に続く世界でそこに進む方は、財を捨てて、この俗世間で惑わされる物質からのとらわれを捨てて、ただ神様と共に存在するだけで、それこそ、原っぱに寝そべって、心地よい「幸せだなぁ」と思える間隔がずっと続く生涯を送る事をいうので、寺での瞑想でも、財を捨てさせて、瞑想に暮れ、それこそ人によっては神様と邂逅できる修行をしているのです。


当HPのしめは、今生変わらず、この言葉になります。


また、お布施で、生涯の布施や、10年単位の布施をされた場合は、私が逝った後も、神様が引き続き霊道で全ての処理(霊的サポートによる加護や信仰を試す修行となる試練)をされますので、ご心配なく。

著者について

前世:アモン・ラー、パウロ、親鸞 等
現職業:行政書士
職歴:前は国立宇宙研究センターでスペースシャトルの開発・宇宙の仕組みを研究する取り組みを人々の役にたつためにやっていました(仏教とはそういうものなので)。
なぜ行政書士を今やっているのかというと神の文書を代行する職業だからとラー(エホバ様)に言われてやっています。

__
親鸞よ

この末世で
終末の混沌としてる世で
求法してそれを説くという徳が今
そなたに天から求められている生き方である。

背徳の人間を救うのがそなたの生き方である。
大いに此度の生を全うしなさい。
__

これはエホバ様(阿弥陀如来様)から授かりました。



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手続きの方法は、銀行の窓口に用意されている振替依頼書を依頼する銀行にご提出下さい。

小輩にメールを送信された方に、小輩の銀行口座をお知らせしますので、その口座を銀行の振替依頼書にご記入してご提出下さい。

妻子を養っている都合で、ご登録頂けると家族が生計を立てるのに助かります。

布施を募って生活を立てて、説法をしていき、布教を広めるよう天から指示を受けておりますので、ご協力よろしくお願い致します。



大乗仏教とは何か。


大乗仏教というのは、教科書的には


釈迦が前世において生きとし生けるものすべて(一切衆生)の苦しみを救おうと難行(菩薩行)を続けて来たというジャータカ伝説に基づいて、自分たちもこの釈尊の精神(菩提心)にならって六波羅蜜の概念の理解を通じ善根を積んで行くことにより、遠い未来において自分たちにもブッダとして道を成じる生が訪れる(三劫成仏)という修行仮説や死生観(地獄や空色を含む大千世界観)をいいますが


これは真言宗とかでもそうです。あらゆる仏教そうですが



大乗仏教とは何かという事を

端的に言うと


”人を助けたい”


これだけです。


そこに説明を加えていくと


衆生救済というのが仏教の理念です。

あらゆる仏教の発祥のゆえんです。

そうなると、世界の人間を救う宗教だから、世界宗教として広まっていったわけですが

それをすることで何が起こるのかというと、釈迦の生き方がそうであったために、それを追随するのが修行であり、弟子たちの役割であったとする考え方です。

後継したいのですね。釈迦がそうしたかった。立派な釈迦の通りにやると、徳性も上がるのではないかとそう考えた。それゆえに、己よりも利他をするということで、比叡山延暦寺もその理念を掲げています。日本の仏教の総本山です。ここで教義を全員が学んだという本家です。

この1点に生きると、道が開けてくるという思想が大乗仏教なのです。

これには理屈はありません。

そうなると信じて布施をしていく気持ちです。

これはキリストの広めていた衆生救済の難行と変わりませんので、世界中に広めていくということで小輩もその道を進んでおります。



私の存在の証明について


天地天命

これ全て

神意であることは

仏教であり神道であり

あらゆる宗教宗派の根本教義


なぜなら神がすべてを創ったと聖典に書かれているからです。

人が創ったとは書かれていません。


そうであれば

私が発言した事は

天意である


それは私の口を借りて

天が親鸞であると言わせているのです。

私はアーモン・ラーであったし

パウロであったし

親鸞でもあった


本人がそう言う事が

証言となります。


それを証明するのは天です。

神様が証明します。


それは実証として

皆さんの生活に現れたなら

その方は私についてくるでしょう。


天が嘘をつくのでしょうか。

私が親鸞ではないのに

そう言わせるのでしょうか。


あなたが神様を信じることが

宗教です。

あなたがそう思えばそうなのです。

そうでない人間は疑うでしょう。

キリストがかつて贖った罪を再度積み重ねるのが人間です。


あなたがあなたであると

あなたご自身が言わなければ

証明になりません。


では宗教というのはなぜおこっているのか。

それは天から悟りを得るからです。

それで布教したものです。

人間が科学で作ったものではありません。

人間の証明手順で証明できるのでしょうか?

それは神にしか許されない事ではないでしょうか。


核心をとらえられるのが人間なのでしょうか。

あなたは人生で何も悩みなく生きて、すべてうまく成功を収めてきた人間なのでしょうか?

人間はもがき続け最後に神に出会います。

あなたが何でもできるなら、キリストがやったことをすべて私の目の前でやってください。

空をも飛んで下さい。他人の経験や未来や他人の思考も全て私に書いて下さい。

私の家族のことや私の経験を包みなく書いて下さい。

この世の病というものをすべて治癒させて下さい。

しかし、私は、かつて、キリストと同じ奇跡をされたエホバ様に出会ったことがあるのです。

まるで同じ口調で、同じ事をされて、さらにそれ以上の事をされて、十分な実証を私の前でされて、イエス・キリストそのものとして還られましたが、最後に私に


「あれ(イエス・キリスト)は私の子であって

私ではありませんから。

私の力はあんな次元ではありません。

奇跡というのは普段は見せずにたまに見せるから面白いのです。

人間ごときに見せるはずもありません。

ここで見せたのは、あなたの徳ゆえです。

あなたの徳ではここまでが見れます。

ここからは神の世界ですから。


ここから先の奇跡が見たければ

この言いつけ通り

布教の仕事を全うされて来て下さい。


あなたには天の門は開きます。」


そう言い残されて天上界へと還られました。

2019年に降りて来られて

2020年に還られました。


(これは、実はサウロが見た奇跡と同じなのです。

奇跡を見て、巡教するのが使徒ですからね。)


人間は完全な生き物ではありません。

人間が人間というのは

一人足で立てないから、「人」という字があるのですよね。

ではもう一本は何かというと神ですよね。


エホバ様が真正のエホバ様であるとか

私が親鸞であるとか

人間に認証できるのでしょうか?


霊性というのは科学で解明されているのですか?

まだ未発見の何かを構成要素としてつくられています。

その霊というものを人間は無いものだと語れるのでしょうか。

神がいないならどうやって世の中ができたのか、その科学というので

疑問がなくなる所まで証明できるのでしょうか。

できませんよね。

神様がいるというのも実はそれと同じ理屈で語られています。

それこそが人間の試練なのです。

乗り越えられた方しか、実はいらないと天は仰っています。

しかし、私は最後まで救世を叫び続けるでしょう。

それが私が授かった天命というものだからです。


wikipedia等に宗教家等で名前が残らないように

あらかじめ掲載は拒否しておきますので

こちらをご覧の上、必ず個人名を掲載しないよう申しおきしておきます。